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横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)819号 判決

原告

小林勇夫

右訴訟代理人弁護士

伊藤幹郎

飯田伸一

三野研太郎

横山国男

木村和夫

三浦守正

岡田尚

星山輝男

林良二

武井共夫

被告

土屋産業株式会社

右代表者代表取締役

土屋要

右訴訟代理人弁護士

河本與司平

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金四六六〇万九二八七円及びうち金四二三七万二〇七九円に対する昭和五八年六月一〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  (当事者)

被告は温泉掘さく等を業とする株式会社であり、原告は昭和五四年一二月深井戸掘さく技術をかわれて日給八〇〇〇円の約束で被告と雇用契約を締結し、同五五年三月ころから静岡県賀茂郡賀茂村安良里地区内において安良里簡易水道深井戸掘さく工事(以下「本件工事」という。)に従事していた。

2  (事故の発生)

原告は、同年五月七日、本件工事に従事中、右工事に使用していたボーリングマシン(以下「本件機械」という。)の地下を掘さくしていたロッドを締めつけて固定させるチャックが緩んだので地上から約一八〇センチメートルのところにある、チャックのボルトを締めるべくアーム部分に長さ約一メートルの水道管用パイプを継ぎ足したレンチのボックス部分をボルトにはめ込み、アーム部分に体を乗せて足を浮かせ体重をかけて右ボルトを締めつけていたところ、右レンチのボックスが突然割れてレンチがボルトからはずれたため、一回転して地上に落ち、右手首を骨折し、腰を強打し、レンチボックスで左胸を強打した(以下「本件事故」という。)。

3  (原告の治療経過及び後遺症)

(一) 傷害の治療経過

(1) 昭和五五年六月上旬から同年八月まで

原告は、川崎市内の関東労災病院に通院し右手首骨折の治療を受けた。ただし骨折部が既に癒合していたため打撲、捻挫と診断された。

(2) 同年六月上旬から同年一一月末まで

原告は、同年六月上旬から手首が痛み、同年八月上旬からはそれに加えて下腹部及び腰部から右足大腿部にかけての部分が痛んで歩行ができなくなり、横浜市内の岩本鍼灸院に通院し施術を受けた。

(3) 同年一一月一五日から同月一七日まで

原告は、出張の途中東名高速道路足柄サービスエリア内で、腰部激痛のため倒れて動けなくなり、救急車で静岡県御殿場市内の上町医院に運ばれ診察を受けたところ、入院を要するとのことで、同市内の駿東第一病院に入院し治療を受けた。

(4) 同月二四日から同年一二月一五日まで

原告は、同年一一月二四日、下腹部及び腰部から右足大腿部の痛みのため、横浜市内の和光医院で診察を受けたところ、入院を要するとの診断であつたので、同月二六日から同年一二月一五日まで横浜市内の内藤胃腸外科病院に入院し、治療を受けた。

(5) 同月二二日から現在まで

原告は、下腹部及び腰部から右足大腿部にかけての痛みのため、山梨県韮崎市の水上鍼灸院に通院し、施術を受けた。

(6) 同五六年一月二日から同月一三日まで

原告は、(5)記載の部位の痛みのため前記内藤胃腸外科病院に入院し、治療を受けた。

(7) 同月中旬から同年三月中旬まで

原告は、右の部位の痛みのため、横浜市内の松沢整形外科病院に通院し、治療を受けた。

(8) 同五七年五月上旬から同月中旬まで

原告は、下腹部、腰及び右足の鈍痛のため、川崎市内の浦和医院に通院し、治療を受けた。

(9) 同年六月二六日から同年一〇月一九日まで

原告は、同年六月二六日、前記関東労災病院に入院し、精密検査を受けたところ、解離性大動脈瘤、第四、第五腰椎間ヘルニアと診断され、治療を受けた。その後原告は、同年八月四日同病院内科に転科し、同年一〇月一九日まで入院し、治療を受けた。

なお、原告は、解離性大動脈瘤の手術のため、同年七月二三日横浜市大病院で、同年八月一六日東大医学部病院でそれぞれ診察を受けたが、手術による生命の危険を避けるため手術を断念した。原告は、その後現在まで、血圧降下剤を服用し、安静と塩分制限の食餌療法による保存治療を続け、二週間に一度前記関東労災病院に通院している。

(二) 後遺症

原告は、右解離性大動脈瘤のため、安静を要し、特に軽易な労務以外の労務に服することができない(労基法施行規則所定の身体障害者等級表第五級三号該当)。また原告は、右ヘルニア及び右手首骨折によつて現在でも下腹部痛、腰痛等頑固な神経症に苦しんでいる(右等級表第一二級六号及び一二号に該当)。したがつて、右等級表第一三級以上に該当する身体障害が二以上あることにより原告の後遺症は右等級表第四級に該当することとなる。

4  (因果関係)

(一) 本件事故と解離性大動脈瘤との因果関係

解離性大動脈瘤は動脈の中膜が解離して、そのなかが血腫で満たされた状態をいうが、大動脈瘤の原因のひとつとして外傷があげられている。

原告の解離性大動脈瘤は、原告の本件事故による受傷部位(左胸、腰の強打等)と大動脈瘤の位置(胸部から腎動脈分枝部まで)が一致していること、原告は解離性大動脈瘤発病前に動脈硬化症あるいは高血圧症により診療を受けたことは一度もなく、これらの疾病の自覚症状もなかつたこと、原告は本件事故後解離性大動脈瘤発病までの間仕事に一切従事していないことから、本件事故が原因で発症したものであることは明らかである。

(二) 本件事故と第四、第五腰椎間ヘルニアとの因果関係

原告は本件事故以前に第四、第五腰椎間ヘルニアを発症したことがなく、自覚症状も一切なかつたこと、原告は本件事故によつて腰部を強打しておりヘルニアの発症部位と一致していること、原告は本件事故後腰部痛の治療を継続し、現在も腰部痛に苦しんでいること及び原告は本件事故後仕事に一切従事していないことから、右ヘルニアは本件事故が原因となつて発症したものであることは明らかである。

5  (被告の責任)

(一) 債務不履行責任

被告には雇用契約における安全保護義務に違反した債務不履行責任がある。

すなわち、本件機械には土中を掘り進むロッドを締めつけて固定させるチャックという部品があるところ、右チャックが磨耗してロッドを十分締めつけられない状態になつていたので、応急の措置としてボルトを強く締めつけることによつてロッドを固定させていた。しかしながら、右の方法では磨耗したチャックによるすべりを防げないので、原告は被告に対しチャックを交換するよう何回も要求していたが、被告はボルトを強く締めろという指示をするのみで、原告の要求に応じなかつた。そのため原告はボルトを極度に強く締めつけざるを得ず、被告の指示に従つてレンチのアーム部分に長さ約一メートルの水道管用のパイプを継ぎ足し、この部分に体を乗せて足を浮かせ体重をかけてボルトを締めつけたところ、右レンチのボックスに無理な力が加わつてボックスが割れてしまつたのである。

右のとおり、本件事故は、被告がチャックを交換しなかつたことに原因があり、被告においては本件事故の発生は予見できたものであるから被告に安全保護義務に違反した債務不履行責任がある。

(二) 工作物責任

本件機械は民法七一七条一項所定の「土地の工作物」に該当し、被告は同条による責任を負う。

すなわち、本件機械は、土地に接着して人工的作業を加えることによつて成立した物であるから、「土地の工作物」に該当する。さらに本件チャック及び足場板は、本件機械の附属物としてこれと一体となつて工作物としての機能を果しているから、土地の工作物である本件機械の一部を構成し土地の工作物に該当する。しかして、本件チャックが磨耗していたこと及び原告がボルトを締める作業を行つた足場板の幅が約五〇センチメートルに過ぎず非常に狭かつたことは、土地の工作物の設置及び保存に瑕疵があつたことに該当し、本件機械の占有者かつ所有者である被告は民法七一七条一項所定の工作物責任を負う。

6  (原告の損害)

(一) 積極損害

(1) 入院雑費 一五万円

原告の入院の期間及び病院

(イ) 昭和五五年一一月一五日から同月一七日まで(二日間) 駿東第一病院

(ロ) 同月二六日から同年一二月一五日まで(二〇日間) 内藤胃腸外科病院

(ハ) 同五六年一月二日から同月一三日まで(一二日間) 同右

(ニ) 同五七年六月二六日から同年一〇月一九日まで(一一六日間) 関東労災病院

右入院期間一五〇日中、一日当り金一〇〇〇円の雑費を要した。

(2) 治療費 二六万六一八四円

(イ) 関東労災病院 二万五二五四円

(ロ) 内藤胃腸外科病院 二二万三一九〇円

(ハ) 駿東第一病院 一万六九四〇円

(ニ) 東大医学部付属病院 八〇〇円

(二) 休業損害 六一九万七三二四円

原告の本件事故直前三か月間の平均月収は金二二万一三三三円(二一万六〇〇〇円、二二万四〇〇〇円及び二二万四〇〇〇円の平均)であつたところ、原告は本件事故によつて同五五年六月から同五七年七月までの二八か月間休業を余儀なくされた。したがつて、原告の休業損害は金六一九万七三二四円となる。

(三) 逸失利益 二四四九万九一一六円

原告は、症状固定時である同五七年一〇月当時満五八歳(大正一三年三月二四日生)であるから、満六七歳までの九年間就労可能である。原告は本件事故がなければ同年齢の男子労働者と同程度の収入を得ることができたと推測できるから、労働省統計情報部作成の賃金センサス同五六年第一巻第一表男子労働者学歴計によつて年収を算出し、後遺障害四級の労働能力喪失率九二パーセントに基づいて原告の逸失利益を計算すると、

(239,600×12+783,700)×0.92×7.278=24,499,116(円)

となる。

(四) 慰藉料 一五〇〇万円

原告は、本件事故によつて、受傷による苦痛、入通院して治療することの苦痛を受け、かつ前記後遺障害のため就労することができない。原告のように深井戸掘さくの技術をかわれて就労していたものにとつては、働くことは単なる生活の手段にとどまらず、生きがいであるから、就労できないことによる精神的苦痛は大きい。また原告は、後遺障害のため日常生活にも多大の支障があり、人間らしく豊かに生きることを阻まれている。これら、本件事故によつて原告の受けた精神的苦痛は測り知れないが、これをあえて金銭に見積れば金一五〇〇万円を下らない。

(五) 損害の填補 三七四万五四五円

原告は労災保険により金三七四万五四五円の補償を受けた。

(六) 弁護士費用 四二三万七二〇八円

原告は、本訴提起に当り、本訴代理人に対し、弁護士報酬として請求額の一割を支払う旨約した。

7  よつて、原告は被告に対し、損害賠償として金四六六〇万九二八七円及び内金四二三七万二〇七九円に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五八年六月一〇日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2のうち、原告が昭和五五年五月七日本件工事に使用していた本件機械のロッドを固定するためのチャックのボルトを締めていた際、レンチのボックスが割れて転倒し、右手関節打撲捻挫の傷害を負つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同3(一)のうち原告が右手首打撲捻挫で治療を受けていたことは認めるが、具体的な治療の状況は不知、同(二)の事実は否認する。

4  同4の事実は否認する。

5(一)  同5(一)の事実のうち本件チャックが磨耗していたことは認めるが、その余の事実は否認する。チャックの磨耗は新品と比較してのものであり、使用に耐えない程度のものではなかつた。

(二)  同5(二)のうち、本件チャックが磨耗していたこと(但しその程度は前記のとおり)、本件足場板の幅員が五〇センチメートルであつたこと及び本件機械が被告の所有、占有するものであることは認めるが、その余の事実は否認する。

6(一)  同6(一)の事実は不知。

(二)  同6(二)のうち、原告の本件事故直前三か月間の平均月収が金二二万一三三三円であつたことは認めるが、その余は争う。

(三)  同6(三)の事実は否認する。

(四)  同6(四)の事実は否認する。

(五)  同6(五)の事実は認める。

(六)  同6(六)の事実は不知。

三  被告の主張

1  被告には安全保護義務に違反した債務不履行はない。

(一) 原告は深井戸掘さく技術をかわれて被告に雇用されたものでボーリング機械の取扱いに習熟しており、本件工事は原告が単独で責任をもつて工事を行い、工事現場における具体的作業は原告がすべて適宜判断して行つていた。

(二) 被告の職場長菅谷恵和は、本件事故の数週間前、被告事務所において、原告から本件機械のチャックが磨耗していてすべるとの話を聞き、原告に対し、事務所の原告の机の引出の中に予備のチャック一式があるので、それを取り替えて使用するよう指示したが、原告はチャックの取替えを怠つた。

(三) 鉄材であるレンチは通常の用法ではボックス部分が割れるということは考えられない。原告がレンチを使用する際ボックスがボルトの頭に十分かからず半端なかかり方をしていたことに気付かず圧力を加えたためにボックスの一局所に無理な力が加わつて破損したとしか理解できない。仮にレンチのボックスに亀裂が生じていたとしても原告は前述のように本件ボーリング機を同人の責任において操作し、特にレンチを使用してのチャックのボルトの締めなおしは一日数十回も行うものであつたから、原告は、本件機械操作のため使用する工具については、使用前に点検し、工具が使用に堪え得るか否かについても、原告自身がその責任において判断すべきものである。

したがつて、本件事故に関しては被告には原告に対する労働契約上の安全保護義務の違反はない。

2  被告には、本件事故に関し工作物責任はない。

(一) 本件チャックが磨耗していたことは新品でない以上当然であつて、これを以つて瑕疵があつたということはできないし、本件足場板そのものの幅員は五〇センチメートルであるが、足場板とロッドとの間には五〇センチメートル以上の空間がありその空間に鉄板を敷いてその上で作業を行うのであるから、現実の足場の幅員は一メートル以上になり足場が狭く危険であるということはない。右のとおり、チャックが磨耗していたこと及び足場板の幅員が五〇センチメートルであつたことは通常何らの危険を予想させるものではなく、本件機械の設置、保存に瑕疵があつたということはない。

(二) 仮に、本件チャックもしくは本件足場板に瑕疵があつたとしても、本件事故はチャックが磨耗していたためあるいは足場が狭かつたために惹起されたものではなく、レンチのボックス部分が割れたことに起因するものであることは明らかであるから、チャックの磨耗もしくは足場板の幅員と本件事故との間には相当因果関係が存しない。

3  本件事故と原告主張の傷病との間には因果関係はない。

(一) 本件事故と解離性大動脈瘤との因果関係の不存在

原告は本件解離性大動脈瘤が外傷性のものであるとしているが医師の診断があるわけではなく根拠のないものである。仮に本件解離性大動脈瘤が外傷性のものであるとしても、外傷を原因とする場合は胸部に極めて強力な圧迫が加えられるような強い打撲症を伴うものであり、この場合激痛を伴うのは当然でしかも激痛が治まらないうちに解離性大動脈瘤の症状が出てくるものである。しかし原告の主張のような転倒の仕方によつては胸部を強打することはあり得ないし、仮に胸部を打撲していたとしても原告は事故の翌日から医師の診察も受けずに通常通り労務に従事しているばかりでなく、その後診察を受けた関東労災病院でも手首の治療は受けているが胸部打撲については診断治療を受けていないのであるから、解離性大動脈瘤を起こさせる程度の打撲ではなかつたものである。

したがつて原告の解離性大動脈瘤は本件事故を原因として発生したものではない。

(二) 本件事故とヘルニアとの因果関係の不存在

原告は本件事故によつて腰部を強打したということはなく、前述のとおり、医師の診察も受けずに事故の翌日から労務に従事していたのであるから、本件腰椎間ヘルニアは本件事故が原因でなく他の原因によつて発症したものである。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1(一)のうち、原告が深井戸掘さくの技術をかわれて被告に雇用されたものでボーリング機械の取扱いに習熟していたこと、工事現場における具体的作業はすべて原告が適宜判断して単独で行つていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同1(二)のうち、原告が菅谷職場長に対し本件事故の数週間前本件機械のチャックが磨耗してすべるとの話をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は本件工事当初ほとんど工事現場に泊り込んでいたので、事務所にある原告の机の引出の中を確認したことはない。

(三) 同1(三)のうち、本件機械を使用して井戸掘さく工事を行う場合一日に数十回レンチでチャックのボルトを締めなおすことは認めるが、その余の事実は否認する。「機械、器具その他の設備による危険」を防止することは使用者である被告の義務である。原告は工具使用前に工具を点検しているが、その時には工具に異常を発見できなかつた。

2  同2の(一)、(二)は争う。

3(一) 同3の(一)の事実は否認する。

原告は本件事故後約一か月間は仕事の都合で医療機関にはかかれなかつたが、宿泊所でマッサージを受け、昭和五五年六月頃から関東労災病院で右手首の治療を受けていたのと並行して鍼灸院でも腰痛に対する施術を受けていた。ところが同年一一月一五日、東名高速道路足柄サービスエリア内駐車場で下半身が動かなくなり駿東第一病院に収容された。この時解離性大動脈瘤は発生していたが、同病院には精密検査の設備がなかつたため解離性大動脈瘤の診断ができなかつただけであつた。その後いろいろな医療機関で診察を受けたが原因は分らず同五六年一月頃には右足が大腿部から下が痛んで利かず、医師は右足の大動脈がつまつたから右下肢を切断しなければならないといつた程であつたところ、同五七年六月二六日関東労災病院で解離性大動脈瘤の診断となつた。原告のこのような症状の経過は外傷による解離性大動脈瘤がたどる一般的臨床経過に合致しているので、受傷後からの腰痛、三か月後の下肢痛並びに下肢血行不全は大動脈瘤解離の進展によるものであることは明らかであり、右傷病と本件事故との間には因果関係は存在する。

(二) 同3の(二)は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二1原告が昭和五五年五月七日本件工事に使用していた本件機械のチャックが磨耗していたためレンチを使用してロッドを接続するボルトを締めていた際レンチのボックス部分が欠けて転倒し右手首に傷害を負つたこと、原告がボーリング機械の取扱いに習熟し工事現場における具体的作業は原告がすべて適宜判断して行つていたこと、被告の菅谷職場長が本件事故の数週間前原告から本件機械のチャックが磨耗してすべるとの話を聞いたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  被告は、静岡県賀茂郡賀茂村から本件工事を請負い、昭和五五年三月本件工事に着工した。

原告は、同年四月上旬頃より本件工事現場付近に下宿し、本件機械を使用して単独で掘さく作業に従事するようになつたが、工事の進捗状況については一日一回程度被告代表者である土屋要に電話連絡をするほか、日報を作成して右土屋に送付していた。

(二)  本件機械は、株式会社利根ボーリング製作のTBM・七〇型ラージホールドリルで、さく井工事、基礎杭工事に使用する特殊ボーリング機であつて、油圧によつて本件機械のロッドを回転させながら地中を掘り進むものである。しかして右ロッドはチャックのボデー部分にある上、下二段合計六組のボルト及びチャックを締めることによつて固定される構造になつている。また右ボデー部分は一定限度内においてロッド上を上下に移動することが可能で、右ボデー部分が最高の位置にあるときはロッドの先端から右ボデー部分の下段のボルトまでの高さは約七六センチメートルで、右ボデー部分が最低の位置にあるときは右の高さは約二五・五センチメートルとなる。

(三)  ところで、本件工事現場においては、地上に高さ約一五センチメートルの角材を敷き、その上に高さ約一五センチメートルのチャンネルを置き、右チャンネルと平行して同じ高さのH鋼を置き、右H鋼の上に本件機械が設置されていた。したがつて、地上から本件機械のチャックのボデー部分の下段のボルトまでの高さは、右ボデー部分が最高の位置にあるときは約一〇六センチメートルとなる。また、本件機械を中心に鉄製のヤグラが組まれ、ヤグラの四個の基礎を頂点として縦約三〇五センチメートル、横約二五一センチメートルの長方形の部分には厚さ約〇・六センチメートルの鉄板が敷かれて足場となつており、その足場部分の幅員は五〇センチメートルであるが(右幅員が五〇センチメートルであつたことは当事者間に争いがない。)、足場部分とロッドとの間にさらに幅員六二・五センチメートルのホルダー台が設置されている。

(四)  原告は、同月中旬ころ、被告事務所に赴いた際、被告の工事長(当事者間では職場長としている)である菅谷恵和に対し、「チャックがすべるから取り換えなければならない。」と申し出た。

そこで右菅谷は同五三年九月頃訴外利根ボーリングから買受けたチャックが数個原告の机の引出に保管してあつたので原告に対し「原告の机の引出にチャックがあるから、取り換えるのならばそれを使えばいい。チャックの上のボルトをゆるめると取り換えられるから。」と指示した。

(五)  然し原告は、本件機械のチャックを取り換えることなく本件工事を続行していたが、同五五年五月七日午後三時過ぎころ、チャックのロッドに対する締めつけが緩んだため、チャックのボデー部分を最高の位置にして、同部分のボルトのうち下段部分のボルトの一つに、長さ六五・五センチメートル、重量四〇一〇グラムの鉄製のレンチのボックス部分をはめ込み、右レンチの先端に長さ約一〇〇センチメートルの水道管用パイプを差し込んで継ぎ足した状態にして、両手を右パイプに置いて両足を浮かせ全体重をパイプにかけて右ボルトを締めようとしたところレンチのボックス部分(ボックスの内側は八角になつている。)の縁の一部が欠け、レンチがボルトからはずれたため、原告はパイプを両手に持つた状態で足場の鉄板上に倒れた。

(六)  原告は、本件事故によつて右手首に痛みを覚えたものの、医療機関の診察治療を受けることなく、同年六月三日まで本件工事に従事し、同月四日川崎市の関東労災病院において診察を受け、右手関節部打撲捻挫のため同月末日までの自宅静養、通院治療を要する見込みと診断された。

(七)  被告は、本件機械に使用していたチャックを本件事故後もそのまま使用し、同五八年六、七月ころ対になつているボルトが破損したため交換した。また、本件事故の際原告が使用したレンチは、被告が所有、保管している工具の一つで、本件事故まで右レンチの縁が欠けるということはなかつた。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する〈証拠〉は前掲各証拠に対比して措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

三そこで、まず被告に安全保護義務に違反した債務不履行があるか否かについて検討する。

原告は、被告が磨耗した本件機械のチャックを取り換えなかつたのは雇主としての安全保護義務に違反する旨主張する。

確かに前記認定事実によると、本件機械のチャックが磨耗しており(但しその程度は措く)本件事故前に原告から被告の工事責任者菅谷に対し磨耗したチャックの取換えの必要がある旨申出のあつたことは明らかであるが、原告は習熟した深井戸掘さく技術者として被告に雇われ、本件工事に関しては、原告が自身の判断の下に単独で本件機械を操作し深井戸掘さく工事に従事していたことは当事者間に争いがなく、被告工事責任者菅谷が原告のチャック取換えの進言に対しチャックを取り換える必要があるならば原告の机の引出にある新しいチャックと取り換えるように指示していることは前記認定事実のとおりであるから、原告において磨耗したチャックを取り換えなければ本件の如き事故が発生する虞れがあると判断したものとすれば原告自らが速やかにこれを取り換えるべきであり、むしろそうするのが習熟した技術者として雇われ本件機械の操作を委された原告として事故発生を未然に防止すべき上での義務ということができる。しかも本件事故は、前記認定事実によつて明らかなように、チャックの磨耗から直接発生したものではなく、緩んだチャックのボルトを締めようとした際使用したレンチが欠けたことにより発生した事故であるから、欠陥レンチの使用が直接の事故原因であるものというべきところ、掘さく機を使用する場合は通常一日数十回チャックのボルトをレンチによつて締めなおす必要のあることは当事者間に争いがないので、原告は掘さく機械の使用担当者として当然ボルトの締めに使用するレンチについても使用前に欠陥の有無を検査し、欠陥レンチは使用を避けるのが筋合であるのに、レンチに欠陥のあることに気付かず使用したものであることは〈証拠〉によつて認められるから、磨耗したチャックを取り換えなかつたこと及び欠陥レンチの使用はすべて原告の責任の範囲内の所為であつて、被告には使用人たる原告に対する安全保護義務の不履行はないものといわざるを得ない。

よつて被告に安全保護義務違反の債務不履行があることを前提とする原告の主張は失当というべきである。

四次に、被告に民法七一七条所定の工作物責任があるか否かについて検討する。

本件機械は、被告の所有し、占有するものであることは当事者間に争いがないが、前認定のとおり、さく井工事等に使用される特殊掘さく機で、本件工事現場においては地上に角材を敷きその上にH鋼を置いた上に設置して井戸掘さくに使用されていたものであつて、その使用目的並びに弁論の全趣旨から明らかなように本件工事現場には井戸掘さくの期間中のみ存置されているもので、工事終了の後は他の工事現場へ移動して使用されるものであること、その上、前掲乙第二号証によれば、本件機械は、幅一一〇センチメートル、高さ一六二センチメートル、長さ二五〇センチメートル、重量約二〇〇〇キログラムであるが、各ブロック毎に分解可能で、運搬条件が悪い所での移動も可能であり、最大分解重量は約三五〇キログラムであることが認められるのであるから、本件機械は特定の場所に固定して使用する設備ではなく、民法七一七条にいう「土地の工作物」に該当するものとは到底認めることができない。

したがつて、本件機械の一部品であるチャックの磨耗が、土地の工作物の瑕疵にあたらないことは特に説示するまでもないところであり、足場板も原告が主張するように本件機械の附属物であるとしても、右と同様土地の工作物ではあり得ないものというべきである。

(なお、足場の幅員が五〇センチメートルであることが本件事故とどのように関連するのか原告の主張から明らかでなく、特段瑕疵あるものと認め得べき証拠もない。)。

よつて、被告に民法七一七条所定の工作物に関する責任があることを前提とする原告の主張は失当たるを免れない。

五以上によれば、原告の本訴請求は、原告が本件事故によりどのような傷害を負つたか、また原告の傷病が本件事故と因果関係があるか等の点について判断を加えるまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官安國種彦 裁判官山野井勇作 裁判官小池喜彦)

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